「また退職か」と呆れられるのも慣れました。
20代で転職を繰り返す僕にとって、退職はただの「資産最大化のための最適化」に過ぎません。
しかし、何度経験しても慣れないのが「送別会」です。
善意の押し売りに数千円と貴重な時間を奪われ、挙句の果てに増える不要な飲み仲間。
FIREを目指し、1円単位で貯金スピードを競う身としては、この「ありがた迷惑」な儀式が苦痛でしかないのです。
送別会の「お誘い」が、退職届より憂鬱な理由

退職届を出す瞬間は、新しい人生への扉を開くような高揚感があります。
しかし、その直後に襲いかかる「あ、送別会いつにする?」という上司や同僚からの打診。
これが僕にとっては、何よりも憂鬱な瞬間です。
なぜ、門出を祝うはずの誘いがこれほどまでに重荷なのか。
その理由は、ジョブホッパー特有の冷めた視点と、明確な人生設計にあります。
ジョブホッパーにとって退職は単なる「チェックポイント」
世間一般では、一つの会社を辞めることは人生の大きな節目であり、涙ながらの別れがあるものかもしれません。
しかし、キャリアアップや年収増を狙って数年スパンで動く僕らにとって、退職はスマホの機種変更くらい「日常的な最適化」です。
感情の起伏がほとんどないイベントに対して、仰々しいステージ(主役の席)を用意されるのは、正直言って居心地が悪いだけ。
ステージに立たされる側としては、「あ、次の職場のタスク管理しなきゃ」と考えているのに、思い出話を振られるギャップに耐えられないのです。
「善意」という名の、断りづらい暴力
送別会が厄介なのは、それが「悪意」ではなく「100%の善意」で企画される点にあります。
- 最後くらいパーッとやろうよ!
- 「〇〇君がいなくなるのは寂しいからさ
こう言われて「いえ、資産形成の効率が落ちるので結構です」と即答できる人間がどれだけいるでしょうか。
この「善意を無碍にする罪悪感」を人質に取られた状態こそが、退職届提出後の最大のストレス源です。
結局、誰のための会なのか?
冷静に観察してみると、送別会は主役のためではなく、「送り出す側の自己満足」や「ただ飲み会を開く口実」になっているケースがほとんどです。
主役である僕が「行きたくない」と思っている時点で、そのイベントの目的は破綻しています。
自分の貴重なリソース(時間・精神力・お金)を、他人の「いい人ごっこ」のために差し出す義理がどこにあるのか。
そう自問自答するたび、憂鬱な気分は加速していくのです。
本音①:送別会で「仲良くなる」のは、資産形成のバグである
「送別会をきっかけに、意外な人と意気投合して仲良くなった」
普通のビジネスマンなら美談として語るこのエピソードも、最短ルートでFIREを目指す僕にとっては「システム上の致命的なバグ」でしかありません。
冷酷に聞こえるかもしれませんが、これには資産形成における明確なロジックがあります。
人間関係の「維持コスト」を計算したことがあるか?
送別会で盛り上がり、中途半端に「社外の友人」に昇格してしまうと、退職後も「今度また飲もうよ」という誘いが発生します。
これが最大の問題です。
FIREを目指す過程で最も重要なのは、支出の最適化。いわば、家計の穴を塞ぐことです。
しかし、送別会を機に増える「元同僚との飲み会」は、その穴を再び大きく広げる原因になります。
- 1回の飲み代: 5,000円〜10,000円
- 二次会の誘い: 3,000円
- 移動のタクシー代: 2,000円
1晩で15,000円が飛ぶことも珍しくありません。
これを「付き合いだから」と月2回繰り返すだけで、年間36万円の損失。
利回り5%で運用すれば、20年後には約1,200万円の差になります。
送別会で仲良くなることは、将来の自分の自由を1,200万円分売り払うのと同義なのです。
「何のために働いているのか」というゲシュタルト崩壊
僕が働いているのはお金を稼ぎ、それを投資に回して、一刻も早く「働かなくていい自由」を手に入れるためです。
それなのに、退職する会社の人間に気に入られ、その関係を維持するために、せっかく稼いだお金を消費する。
これでは、「自由を買うために稼いだ金で、不自由(付き合い)を買っている」という本末転倒な状況に陥ります。
送別会で仲良くなった人と居酒屋で語り合いながら、「あぁ、この5,000円があれば、あの高配当株が数株買えたのに……」と考えてしまう自分。
その瞬間、自分が何のために必死に働いているのか分からなくなるのです。
ジョブホッパーに必要なのは「関係の断捨離」
転職を繰り返すということは、本来、人間関係をリセットして身軽になれる絶好の機会のはずです。
次の会社ではもっと年収を上げ、入金力を高める。
その目標に向かって突き進む僕らにとって、過去のコミュニティにしがみつくメリットはほとんどありません。
冷たいようですが、送別会で「仲良くなりすぎる」ことは、資産形成という冒険における「過剰な積載物」でしかないのです。
本音②:時間リソースを「過去」ではなく「未来」に使いたい
送別会に拘束される3時間は、単なる「3時間」ではありません。
FIREというゴールを見据えている僕らにとって、それは「未来への投資効率を著しく低下させる損失」です。
転職前後の「ダウンタイム」はボーナスタイム
ジョブホッパーにとって、退職が決まってから次の会社に入社するまでの期間は、人生における貴重な「戦略的休息」であり、ブースト期間です。
- 新しい職場の予習・スキルアップ: 立ち上がりを早くして、早期の昇給(入金力の向上)を狙う。
- 副業の仕込み: 会社給与以外のキャッシュフローを育てる。
- 資産配分の見直し: 現状のポートフォリオを点検し、新生活に向けた家計の再構築を行う。
これら「未来の自分」を強くするためのタスクが山積みの中で、なぜわざわざ「過去の思い出」を反芻するために夜の数時間を差し出さなければならないのでしょうか。
「終わった話」に費やす180分の損失
送別会の会話の内容は、大抵決まっています。
- あの時のプロジェクトは大変だったね
- 〇〇部長、実はこう言ってたよ
- 新天地でも頑張ってね
これらはすべて、すでに完結した物語、つまり「過去のログ」です。
変化の激しい現代、そして数年単位で環境を変えていくジョブホッパーにとって、過去のログを読み返す時間は最小限でいい。
それよりも、次の職場の人間関係をどう構築するか、どの銘柄を買い増すかという「未来のシミュレーション」に脳のリソースを割きたいのです。
100回の「思い出話」より、1回の「行動」
「最後だから顔を出してよ」という言葉は、裏を返せば「僕たちの思い出作りに付き合ってよ」という要求です。
しかし、僕の人生の主役は僕であり、同僚ではありません。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、他人の思い出作りのために、自分の未来を削る必要はないのです。
180分の送別会を断って、自宅で静かにPCに向かう。
その一見「孤独」に見える時間こそが、数年後の「自由な自分」を作り出す一番の近道であると、僕は確信しています。
送別会をスマートに回避(または最小化)するサバイバル術
「行きたくない」という本音が固まったところで、次に必要なのは「いかに角を立てずに逃げ切るか」という実戦スキルです。
ジョブホッパーにとって、退職時の悪評はリスクになり得ます。
あくまで「丁寧で誠実な人」という仮面を被ったまま、リソースを守り抜く。
これがFIREを目指す僕たちの生存戦略です。
「検討します」は厳禁。即座に「予定」を埋める
送別会の打診が来た際、「予定を確認します」と濁すのは悪手です。
相手に「空いている日があれば開催できる」という希望を持たせてしまいます。
打診された瞬間に、「あいにく退職に伴う手続きと、新生活の準備で予定がびっしり埋まっておりまして……」と、申し訳なさそうな顔で即答しましょう。
「物理的に無理」という状況を最初に提示するのが、最もスマートな回避術です。
「引っ越し・体調・役所」の三種の神器を活用
夜の飲み会を断るための正当な理由は、実はそれほど多くありません。
- 「引っ越しの荷造り・手続き」: 転職=住環境の変化は自然な流れ。最も疑われにくい理由です。
- 「通院・体調管理」: 「環境の変化で少し体調を崩しており、お酒を控えている」と言えば、無理強いはされません。
- 「家族のサポート」: 親や親戚の用事など、自分以外の要因を持ち出すと、相手はそれ以上踏み込めなくなります。
「ランチ送別会」へのカウンター提案
どうしても断りきれない、あるいは「お世話になった人だけとは話したい」という場合は、自分からランチ送別会を提案しましょう。
1,500円程度で済み、お酒も入らないため、余計な「飲み会仲間」認定をされずに済みます。
「夜は時間が取れないので、せめてお昼だけでも!」と熱意をセットにすれば、相手の面目も保てます。
FIREを目指す僕たちが持つべき「孤独を恐れない勇気」
送別会を断り、二次会をパスし、慣れ親しんだコミュニティから静かにフェードアウトしていく。
そんな自分に対して
- 冷徹な人間だと思われるのではないか
- 孤独になってしまうのではないか
と不安を感じることもあるかもしれません。
しかし、最短でFIRE(早期リタイア)という目的地に到達したいなら、僕たちは「孤独を恐れない勇気」を装備する必要があります。
「いい人」でいるためのコストは高すぎる
日本社会において「いい人」であるためには、膨大なコストがかかります。
誘われたら断らない、みんなと歩調を合わせる、場の空気を盛り上げる……。
これらの行為は、すべてあなたの「時間・お金・精神エネルギー」を削って支払われています。
もしあなたが周囲の全員に好かれようとすれば、自分の人生のハンドルを他人に明け渡すことになります。
FIREとは、経済的な自立だけでなく、「自分の人生の主導権を取り戻すこと」です。
送別会を断ることは、他人軸で生きる自分との決別を告げる、最初の一歩なのです。
真の友人は「飲み会」の外側にいる
ここで一つ、冷静に考えてみてください。
送別会に行かなかっただけで切れてしまうような関係が、あなたの長い人生においてどれほど重要でしょうか。
本当の意味で価値のある人間関係は、利害関係がなくなった後、あるいは物理的な距離が離れた後でも、自然と続くものです。
むしろ、「送別会という儀式がなければ繋ぎ止められない関係」は、FIREを目指す上でのノイズになりかねません。
孤独を恐れて不毛な付き合いを増やすよりも、自分が本当に大切にしたい数少ない友人や家族、そして「未来の自分」との対話にリソースを集中させる。
その方が、人生の質は圧倒的に高まります。
数年後の「自由な自分」を想像する
今、送別会を断って一人で帰る夜、少しだけ寂しさを感じるかもしれません。
しかし、その時浮かせた5,000円が、その時確保した3時間が、着実にあなたを「自由」へと近づけています。
数年後、資産を築き上げ、平日の昼間から好きな場所でコーヒーを飲んでいる自分を想像してみてください。
その時、あなたは「あの時、空気に流されて送別会に行かなくて本当に良かった」と、過去の自分を誇りに思うはずです。
群れの中に安住していては、誰も到達できない高みには行けません。
孤独とは、自由を手に入れるための「必要経費」なのです。
まとめ
「送別会に行きたくない」という感情は、あなたのワガママではありません。
それは、自分の人生を真剣に考え、守ろうとしている健全な防衛本能です。
ジョブホッパーとして生きる僕たちにとって、会社は「目的」ではなく、資産を築くための「手段」に過ぎません。
目的と手段を履き違えず、他人の期待に応えるためではなく、自分の理想を叶えるためにその貴重なリソースを使ってください。
送別会の誘いをスマートにかわし、静かに次のステージへ。
僕たちの戦場は、居酒屋の座敷ではなく、もっと先の「自由な未来」にあるのです。

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