派遣のおじさんを見て気持ち悪いと感じた話【無職時代の独り言】

派遣のおじさんを見て気持ち悪いと感じた話【無職時代の独り言】

適応障害を繰り返し、26歳で無職。

職を転々とする自分に「社会不適合者」の烙印を押したあの日、食いつなぐために向かった単発派遣の現場で、僕は「未来の自分」に出会いました。

覇気もなく、みすぼらしい姿で指示を待つ50代のおじさん。

彼を見た時に込み上げた「気持ち悪い」という感情の正体は、同族嫌悪と底知れぬ恐怖でした。

「このままでは人生が詰む」。

そう直感した僕が、正社員として再起を誓った実体験を綴ります。

目次

適応障害、転職、そして無職へ。26歳の僕が詰んでいた話

「自分はもう、まともな社会人には戻れないのかもしれない」

26歳、当時の僕は本気でそう思っていました。新卒で入った会社は、人間関係と業務のプレッシャーに耐えられず半年で退職。

その後、心機一転して転職を繰り返しましたが、どこへ行っても「自分だけが浮いている」という感覚が拭えませんでした。

ついには適応障害を再発。

朝、玄関のドアノブを握るだけで吐き気が止まらなくなり、気づけば履歴書の職歴欄は、数ヶ月単位の短期間で埋め尽くされていました。

「逃げ癖」がついた自分への嫌悪感

「次は大丈夫」「次は合うはず」という淡い期待は、ことごとく打ち砕かれました。

辞めるたびに襲ってくるのは、解放感ではなく「また逃げてしまった」という底なしの自己嫌悪です。

周囲の友人が結婚したり、役職がついたりしていく中、僕は日中からカーテンを閉め切った部屋で天井を見つめる毎日。

次第に友人からの連絡も無視するようになり、社会との接点は完全に断たれました。

貯金残高と消えかけたプライド

無職期間が長引けば、当然お金は底をつきます。

通帳の残高が数千円になったとき、ようやく重い腰を上げて登録したのが「日雇い派遣」のサイトでした。

  • 履歴書不要
  • 明日から働ける

その手軽さは、キャリアをズタズタにしてしまった僕にとって唯一の救いであると同時に、「自分はもう、こういう場所でしか求められない存在なんだ」という残酷な現実を突きつけてきたのです。

当時の僕は、まだどこかで「自分はあんな風にはならない」と、根拠のないプライドにしがみついていました。

しかしそのプライドは、翌日の派遣現場で木っ端微塵に砕け散ることになります。

日雇い派遣の現場で見た「50代のおじさん」の衝撃

薄暗い倉庫の片隅で、その人はパイプ椅子に力なく座っていました。

「今日、一緒に組んでもらうAさんです」

現場責任者に紹介されたその男性は、おそらく50代後半。

使い古されてテカテカになった作業着を纏い、無精髭は白髪混じりでボサボサ。

何より衝撃だったのは、その「視線」でした。

どこを見ているのか分からない、焦点の合わない濁った瞳。

まるで感情のスイッチをどこかに置き忘れてきたような、空っぽの表情です。

覇気のない姿に覚えた「生理的な嫌悪感」

作業が始まっても、彼は一言も発しません。

ただ機械的に段ボールを運び、指示されたことだけを淡々とこなす。

20代の若い現場監督から「おい、もっと早く動けよ!」と怒鳴られても、彼は反論するどころか、申し訳なさそうにペコペコと頭を下げるだけ。

その卑屈なまでの振る舞いを見た瞬間、僕の胸の奥からこみ上げてきたのは、同情ではなく「気持ち悪い」という強烈な拒絶反応でした。

  • 清潔感の欠如
  • 死んだ魚のような目
  • 主体性のなさ

このおじさんは、僕の30年後だ

なぜ、これほどまでに不快感を抱いたのか。

その正体に気づいたとき、背筋が凍りつきました。

彼は、決して特殊な人間ではない。

僕と同じように、どこかのタイミングでつまづき、立ち上がるのを諦め気づけばこの場所に流れ着いただけかもしれない。

「合わない」「無理だ」と逃げ続け、履歴書を汚し、何者にもなれないまま26歳になった僕。

もし、このまま「楽な方」へ逃げ続け、自分を甘やかし続けたら……。

30年後、あの場所で若い監督に怒鳴られながら、死んだ目で頭を下げているのは、間違いなく僕自身だ。

その確信に近い予感は、どんな厳しい説教よりも、どんな自己啓発本よりも、残酷なまでに僕の心に突き刺さりました。

「気持ち悪い」と感じたその姿は、僕が必死に目を逸らしてきた「なれの果ての自分」だったのです。

「数年後の自分」がそこにいた。初めて抱いた本気の恐怖

「派遣なんて、所詮は一時しのぎ。本気を出せばいつでも戻れる」

心のどこかでそう高を括っていた僕の薄っぺらなプライドは、あのおじさんの隣で段ボールを運ぶうちに、音を立てて崩れ去りました。

作業の休憩中、おじさんは無言で地べたに座り込み、安物のパンを力なく口に運んでいました。

その指先は汚れ、爪の間には真っ黒な埃が詰まっている。

ふと、その横に並んだ自分の手を見たとき、心臓が跳ね上がりました。

「今、僕とおじさんの間に、何の違いがあるんだろう?」

鏡合わせの未来

26歳の僕は、まだ若さという「皮」を被っています。

でも、中身はどうでしょう。

  • 仕事が嫌になればすぐ逃げ出す。
  • メンタルの不調を理由に、社会から隠れる。
  • 「自分を理解してくれない会社が悪い」と他人のせいにする。

あのおじさんも、20代の頃は「いつか正社員に戻る」「今は運が悪いだけだ」と思っていたのかもしれません。

でも、一度楽な方へ流され、自分に期待するのをやめてしまったら。

1年が3年になり10年が30年になるのは、恐ろしいほど一瞬なのだと気づいてしまったのです。

「人生が詰む」という本当の恐怖

それまでの僕にとって「人生が詰む」とは、借金を背負うとか、ホームレスになるとか、どこか遠い世界の出来事でした。

しかし、目の前にいるおじさんが教えてくれたのは、もっと静かで、もっと残酷な「詰み」でした。

それは、「自分という人間に誇りを持てなくなること」であり、「誰からも必要とされず、ただ消費されるだけの存在になること」。

お前、もっとキビキビ動けよ!

20代前半であろう現場の若者に怒鳴られ、力なく「すみません……」と力なく笑うおじさんの姿。

その卑屈な笑顔の中に、30年後の自分の顔がハッキリと重なりました。

「嫌だ。死んでも、あんな風になりたくない」

それは、人生で初めて抱いた、動物的なまでの生存本能に近い恐怖でした。

「気持ち悪い」という直感的な拒絶は、僕の魂が発した最後の警告だったのです。

【自戒】なぜ僕は「気持ち悪い」と感じてしまったのか

「なんて失礼なことを考えているんだ、自分は」

おじさんの背中を見ながら、激しい自己嫌悪が渦巻いていました。

初対面の、懸命に働いている年上の男性に対して「気持ち悪い」なんて。

その言葉自体、最低だと自覚しています。

でも、なぜあそこまで生理的な嫌悪感が止まらなかったのか。

落ち着いて自分に問いかけたとき、残酷な答えに辿り着きました。

相手を蔑むことで、自分を守ろうとしていた

結局、僕は怖かったんです。鏡に映った自分の惨めな姿を認めたくなかっただけ。

  • あのおじさんは自分とは違う人種だ
  • 自分はまだ若いから、あそこまで落ちぶれていない

そうやって相手を「気持ち悪い」とカテゴライズして切り捨てることで、今の自分の足元が崩れかけている現実から必死に目を逸らそうとしていました。

おじさんを蔑んでいる間だけは、自分がまだ「まともな側」にいると錯覚できたからです。

卑怯な「正当化」との決別

それまでの僕は、何かにつけて言い訳を探す天才でした。

  • 適応障害だから、正社員は無理だ
  • この会社はブラックだから、辞めて正解だ
  • 自分にはもっと向いている仕事が他にあるはずだ

でも、あの派遣現場に漂っていた「停滞感」や「諦めの空気」は、僕がこれまで積み上げてきた言い訳の集大成そのものでした。

おじさんの覇気のない姿は、「言い訳を続けた30年後の終着駅」。

彼に対して抱いた「気持ち悪い」という感情は、実は自分自身の「逃げ続けてきた生き方」に対する嫌悪感だったのです。

おじさんという鏡に映し出された、腐りかけている自分の内面に、僕は吐き気を催していたのでした。

感謝へと変わる瞬間

「このままでは、僕の人生は本当に終わる」

そう心から認められたとき、不思議とおじさんへの攻撃的な感情は消えていきました。

代わりに湧いてきたのは、今の自分に対する猛烈な危機感と、僕に現実を突きつけてくれたその光景への、奇妙な感謝でした。

おじさんを反面教師にする。そう決めたのは、彼を馬鹿にするためではありません。

僕が僕自身をこれ以上嫌いにならないために、「自分に期待することをやめない」と誓った瞬間でした。

26歳、無職からの再出発。正社員として生きる決意

派遣のバイトを終えて帰宅した夜、僕は泥のように眠るはずが、一睡もできませんでした。

天井を見つめながら、あのおじさんの虚ろな目と、自分の将来が重なって離れなかったからです。

  • 明日もまた、あの現場に行くのか?
  • それとも、また『自分に合う仕事』を探して何ヶ月も引きこもるのか?

答えは一つでした。

「もう、逃げる場所なんてどこにもない」ということです。

プライドという「重荷」を捨てた日

26歳。これまでの僕は、どこかで

  • 自分はもっと評価されるべき人間だ
  • 今の環境が悪いだけだ

という肥大化したプライドを持っていました。

適応障害という診断名さえも、時には「働けない正当な理由」として、自分を守る盾に使っていたのかもしれません。

でも、あの日雇い現場で感じた恐怖は、そんな薄っぺらな盾を粉々に砕きました。

「仕事が合う・合わない」を議論する前に、まずは「一人の大人として、自分の足で立ち続けること」

それができない限り、僕に未来はない。

そう確信した僕は、翌朝、ボロボロの履歴書を広げました。

「1つの場所で踏ん張る」という挑戦

就職活動は、決して楽なものではありませんでした。

  • なぜこんなに短期間で辞めているんですか?
  • 適応障害の再発の可能性は?

面接官の鋭い質問に、以前の僕なら心を折られていたでしょう。

でも、今の僕にはあの「おじさんの姿」という強力なブレーキがあります。

ここで踏み出さなければ、30年後の自分があの倉庫で待っている。

その恐怖が、僕を突き動かしました。

「これまでは逃げてばかりでした。でも、もう逃げないと決めました」

格好いい志望動機なんて言えません。

ただ、「今度こそ、1つの会社で真面目に働く」という泥臭い決意だけを伝え続けました。

現在の自分:正社員として働くということ

縁あって採用されたのは、決して華やかな業界ではありません。

厳しい局面も、人間関係で悩む夜もあります。

適応障害の影がちらつく瞬間がないと言えば、嘘になります。

でも、今の僕は知っています。

「嫌なことから逃げた先にある景色は、今いる場所よりもずっと残酷だ」ということを。

毎月決まった日に給与が振り込まれ、社会の一員として役割がある。

そんな当たり前のことが、今の僕にはどれほど尊いか。

あの日、派遣現場でおじさんを見て「気持ち悪い」と感じたあの激しい衝動が今の僕を支える「正社員としての覚悟」を作ってくれたのです。

まとめ

派遣の現場で感じた「気持ち悪い」という衝動は、僕をどん底から救い出す最後の警告でした。

もしあなたが今、仕事が続かず将来に絶望しているなら、その嫌悪感を変化のエネルギーに変えてください。

正社員として一歩踏み出すのは勇気がいりますが、逃げ続けた先にある停滞こそが真の恐怖です。

26歳、まだやり直せます。

あの日のおじさんが教えてくれた「自分を諦めないこと」の大切さを胸に、今日から再出発しませんか。

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